「黄色い本」を読む

アラザルメンバーが集まってたまに読書会をされているそうで、今回は漫画の読書会をするということで、参加してみないかと声をかけていただき参加してきました。



お題は高野文子さんの「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」。
高野文子さんの漫画読んでみたいなあ…と思いながらもう何年経ったやら、良い機会だし、アラザルの人たちが漫画についてどんなこと話すか聞いてみたい!と思いまして、参加させてもらいました。
(注:ドミトリーともきんすを読んでいたことを後から思い出しました…)
以下、読書会の内容に少し触れつつ、主に自分の「黄色い本」に関する感想です。
長くなりそうなので折りたたみます。

さて先に…お世話になっているアラザルさんですが、新刊が出ており、テーマが直球で「政治」となっています。まだ読んでる途中だけど、絶対に固くならずに読めるから誰でもおすすめ。あと何故か価格破壊で100円だから手にとりやすいかと。在庫まだあるのかな?リンクを貼っておきますのでぜひ。
https://arazaru.stores.jp/items/5fcafbfbda019c0ca60a02da
あとは吉祥寺の古書 防破堤さんで買えるようです。

届いて早速読むもなんだかしっくりこなくて、私は本当に漫画を読んでいるんだろうか…という感じだったんですが、二度読んで、ああ、これは読書体験を描いた漫画なんだ(いや一回で気づけよだし、あらすじにもう書いてあるよっていう…あらすじを読まないのが仇に…)と気づいてからはものすごく楽しく読めました。初回はなんだろう、すごく細かい日常描写とかに気をとられていたな。傘についた雨粒をトントンして落とす、とか、おやつとか鍋を確認するとかね。食ってる時の顔が油断丸出しだとか。フードで聞こえないから、フードをひっぱって耳を出す描写なんか、わざわざ手袋外してだったり。そういうところを楽しく見ていたな。主人公が読んでいる「チボー家の人々」という本については全く知らなくて、調べもしなくて(そこはしようよって感じだが)なんとなく革命運動っぽい描写があるのだろうとか…この「黄色い本」自体の時代も結構ふるいんだろうな…とか(衣料品を家庭で作るのが馴染んでいるとかが)それと、トーンの使い方が独特で登場人物を見間違うことが結構ありました。自分って絵を記号化して読むことに慣れすぎていたのだなあとか思ったりしました。カラー描くときも固有色に縛られるもんな(笑)

さて、読書会の話です。まず話題になったのは「絵がすごくお洒落」なこと。トーンの使い方、独特だよね、ってお話に、その独特さに惑いました、私、とちょっと恥ずかしくなったりして。特に影の描写が面白い。自分の中にまずないものです。白で抜いたり黒くしたり、それこそトーンを人物にベタ貼りして大胆に使ったりされているので。それが光源をあえて無視していて、ものすごくデザイン的。p18の2コマ目とか、牛乳瓶の蓋を、ポン、と抜く時代感も出てる日常描写、そこに非日常である「チボー家の人々」の朗読が入ってくる…という、あの微妙な温度差とか素敵。話題になった絵はp8のバスの窓際に座る主人公に、窓に流れていく雨水が反射しているところ。ここの絵は本当に綺麗。普通は影にするのに光(白抜き)にしているよね、など話題の1コマとなりました。私もここのコマは面白くてじっと観察してしまったな。雨の影の方も一応本の表面に描かれていたりして。思えば本に没頭している様子なんだよな、とか。それがいきなり友人の手によってばしばしと日常に戻ってしまう。読書が中断されてしまうのでした。それが結構インパクトがある。
この次の「雨の日に本なんか読むからだわ」がちょっとよくわかんなくて面白い、と話題になりました。なんとなく先程書いた、雨水の反射がちらちらとしたり本の文字に影を落としたりするから酔いがまわったんではないかなと思ったりもした。まあ、バスで読むから酔うでしょ、が自然といえば自然なんだけど。
本の中へ引き込まれ、登場人物と共に活動家への道を辿りそうな主人公にやばみを感じる人もいたりで面白かった。私はある種の中二病感というか、読書してる時にかっこいい登場人物がいると重ねちゃう、みたいな素朴な体験に思ったかな。そう、主人公はものすごく本の内容に感化されていて、セリフを心のなかで復唱したりするの。本を読む私へのプライドみたいなかんじ。実際かなり没入している様子がそこかしこに描かれている。登場人物の一人になった自分、のような。これは割と最後の方まで描かれてます。
1p目には本の文章がコマ内に抜き出されていて、私はここはうっすらと読み飛ばしていたんですが、書き文字は強いから読むところだよね、というメンバーの発言に(すんません飛ばしてました…)となりました。というのも普通に本の中を描写しても文章が途切れちゃうんだよね。思った通りに読ませようと思ったらモノローグかフキダシで抜き出す…普通ならそうなんですが、この漫画ではコマ内に本の文章が収まっててちゃんと読めます。改行がコマに沿ってるの。だからこれ、読まなきゃ駄目だったやつじゃん!って、主人公がコマ内の文章を復唱するとこがあるんですが、そこでやっと気づいて読みに戻った。笑。絵って自由だった。こういう嘘が許されるんだよなーと改めて思いました。どっちかというと嘘がつけないとか忠実な描写とかに自分が傾倒しちゃってる証だなって内省しました。
あと楽しい話題はp50。この少女漫画なコマ割りについても話しました。少女漫画のコマ割りが私はわかりません(読んでないからねそんなに)ここで色々な作家さんのコマとコマを跨ぐ時間の話になったりして楽しかったな。コマとコマを仕切る空間がなくなると時間が繋がれて滑らかに時間経過していくんですが、ここは夜遅くまで読書に耽っていた主人公にお母さんが般若の如き顔をして、「風邪ひくてば」と、本を取り上げて電気をさっと消す。それに対して絶望感たっぷりの主人公が描かれてます。この絶望感がまた長いのよ。さっきまで気持ちよく本の中にいたのに、取り上げられてしまって、でも尚、本の中にいようとする感じ。
そう、主人公はこれでもかというくらい本に没入しますし、人物には感化されます。それがねえ、すっごい「あるある」なんだよね。帰ってきて鍋の中見ちゃうくらいあるある。口調がうつって友達に「ぼくもさ」なんて言った後に「まちがえたのよ」と言ったりして。これは42pの話ですが帰り道もずうっと没入してるの。あとは登場人物と対話する妄想をしたり(かなり、しょっちゅう)主人公が死ぬ描写に、こたつにぐっっったりしたりして。主人公の父ちゃんは本をあまり読まない人だよね、という話をしたりしたんだけど、私この主人公もめちゃくちゃ本を読むタイプじゃないんじゃないかなと思っている。どうなんでしょう。私自身が読書めちゃくちゃするタイプじゃないから自分におおいに寄せているのは重々承知しているのだけど、52pでどこまで読んだかわからなくなった…みたいな話があって。だから、読まないタイプかは置いといたとしても、読むのがうまい感じではないのかなと思った。返却ぎりぎりまで読めてないし。あーこの辺りも、自分がそういう、どこまで読んだかわからないやという体験をまあまあするのに寄せてるかもしれないが。

父ちゃん。父ちゃんの話はかなりした気がします。ええ具合にええ愛想で出てくる父ちゃん。帰り路の主人公にハートを飛ばしながら自転車で追い越していく父ちゃん。ここのハートは何?って話も出たんですが、私は父ちゃんが、自分の帰り際に娘と偶然出会ったらハートも出すかなって感じがした(しかも娘に合わせるでもなく、ほったらかしにして追い越していく…)愛想ふりまいて、ほんじゃね〜って先に帰っちゃうのよこの父ちゃんは。ちょっとむかつく感じ。それを本から抜け出せてない主人公は文学的に評したりする。だけど次のページでは、いとこのちっちゃい子の方がなかなか詩的なことをさらっと言ったりする。こういうギャップも狙ってるんだろうかな、と読んだり…。

最後にはおそらく主人公は就職が決まり、本は図書室へ返却(お別れ)して終わります。主人公は本の登場人物たちと空想の会話をして、革命とはやや離れますが気持ちは持ち続けます、と言い、読書の旅を終えます。「チボー家の人々」の中身を知らない私だけど、革命家という前進する塊のような肩書の人々に触れて、主人公は新しい人生に対して勇気をもらったように前向き、というように感じました。多分ほんとうにやりたいこととは少し違うんだよね。職人肌の主人公が手作業というよりは機械作業の仕事に就く感じになるので。それは私はなんか、時代だな…とかそうならざるをえない悲しさも感じるんだけど、それがこの時代(今もかもしれないが)だったのだろうと思って、納得しながら読んだ。この仕事場の説明会みたいなのに出てる描写もあるんだけど割と前向きに見えるし、そこには、希望と違うな…というような悲哀はないと感じた。どちらかというと、環境が変わることに対して未知の期待のような…。
父ちゃんは本を読む主人公に、その本買ってやろうか、というのだが結局は買わなかったのだろうなあと思った。買うとしたらそれは読み終わった(読んでいる)今じゃなくて、もっと後のことだろうな、となんとなく。今は余韻に身を浸して。そんな終わりを感じました。

こんなにひとつの読み切りをみんなで読むというのは初めてのことで、大変面白かったです。批評のスペシャリストなアラザルメンバーですから、たくさんの見方を聞けました。漫画の回ならまた遊びに行きたい!笑。